2021年5月11日 参議院文教科学委員会質疑(参考人質疑=国立大学法人法改正案について専門家の方に問題点を聞く)

○舩後靖彦君

れいわ新選組、舩後靖彦でございます。

本日は、山崎光悦参考人、小倉康嗣参考人、駒込武参考人にお越しいただき、御意見を伺う機会をいただきまして、誠にありがとうございます。

早速、提出法案について質問させていただきます。

代読いたします。

まず最初に、小倉参考人にお伺いいたします。中期計画策定についてです。

私がかつて勤務していました一般企業では、中期計画は三年でございました。現在の国立大学法人では六年とされていますが、この期間は妥当とお考えになりますでしょうか。

○参考人(小倉康嗣君)

企業によって違いますけれども、三年のところもあれば四年のところもあります。大学はやっぱり長い目でちょっと見なきゃいけないという課題があって、私もちょっと最初は長いのかなと思ったんですが、まあ、これぐらいになるのかなという意味では納得しているというか、もうちょっと短くてもいいのかなという感じはしないでもありませんけれども、六年でいいというふうに思っています。

○舩後靖彦君

代読いたします。

二〇〇四年に国立大学が法人化されてからの大学の変化についてお伺いいたします。

公共財としての大学に課せられた役割というのは多々あるかと存じます。しかし、文部科学省の主導する大学のガバナンス改革の中で、運営費交付金が年々削減され、成果、効率優先の選択と集中により、イノベーション、短期的な成果の出しにくい研究教育分野の人材予算が削られていったという弊害も指摘されています。

また、二〇一四年の通知や二〇一九年の閣議決定、経済財政運営と改革の基本方針等により、学長に権限と責任を集中させるトップダウン式の大学経営の在り方が強化され、学問の自由と自治に立脚したボトムアップ型の意思決定とそごを来し、学長選考過程における疑義や旭川医科大学における学長と大学病院長との対立など、様々な問題が起きていると伺っております。

この十六年間の矢継ぎ早の改革で国立大学はどう変わったのか、御作成の資料から強い危機感をお持ちの駒込参考人にお伺いいたしたく存じます。

○参考人(駒込武君)

御質問をありがとうございます。

今、国立大学で生じている事態は、一言で言うならば経営による教学の支配という、そうした事態であるというふうに思っています。

先ほど旭川医科大学の例を申し上げましたが、経営の観点と、地域の医療と連携しながら感染症患者を対応しなくてはいけない、そうした医療の公共性という観点が対立する場合もあるわけですね。それにもかかわらず、全体として経営の観点が優先されて、学部やコースのスクラップ・アンド・ビルドが、採算が合わない、そうした理由で様々な形で行われています。

一つ私が身近に見分した例を挙げさせていただきますと、京都教育大学は特別支援学校のほかに特別支援学級ございます。必ずしも公立学校における特別支援教育、特別なケアを必要とする子供への教育体制が充実していない中で、京都教育大の特別支援学級は、保護者の方からも非常に重要な場所であると支持されていました。

ところが、京都教育大は、一昨年ですか、昨年、この特別支援学級を廃止するという改組案を示しました。附属学校園の効率化のためにはやむを得ない、財政上の事情が許さないという、そういう教育大の先生方としても苦痛、苦渋の決断ということでした。

これに対して、保護者の方、それに地域住民も一緒になって意見書を提出し、署名運動を行っています。その意見書では、普通学級の子と一緒に特別支援学級があることは数値では測り得ない大きな意味があるんだ、決してきれい事ではない関係の中で子供たちは育っていくんだ、それは子供たち自身の権利なんだ、そして、誰もが過ごしやすく、安心して生きられる社会づくりの出発点は一番弱い立場にある人に心を寄せることだ、そのように記しています。

こうした観点、私はとてももっともで大切な観点だと思いますが、経営の観点が優越されると否定されてしまうわけです。このような非常に微妙な教育の場というものをバックアップしていくためにも、大学における教育、研究、医療の体制が専ら経営の観点に依存する体制というのは改めていかなくてはいけないというふうに思っています。

○舩後靖彦君

代読いたします。

ありがとうございます。

次に、本改正案の中身についてお伺いいたします。

まず、中期計画の記載事項の追加、年度計画、年度評価の廃止についてです。

中期計画に評価指標を追加する一方、盛り込む項目を縮小し、年度評価を廃止するということですが、この変更が大学の研究、教育活動、大学運営にどのように影響するのか、大学の外にいる者にとってはなかなか分かりにくいところであります。

そもそも、中期計画、中期目標の設定が各大学の独自性に基づき、その独自性を発揮できるようになっているのでしょうか。評価指標の導入でその達成状況が予算や人事に影響する懸念はないのでしょうか。山崎参考人、駒込参考人にお伺いしたく存じます。

○参考人(山崎光悦君)

御質問ありがとうございます。

先ほどの質問とも少しかぶっているかなというふうに思いますが、中期目標は大綱が示されるということでありますが、中期計画は各大学が独自の判断で書き下ろすということでございますので、それに対するKPIを設定するというのは、自分自身が目標設定をし、その達成度を自分たちがきちっとチェックをするということですので、それ自身が大学の教育、研究を例えばゆがめるとかということにはなるとは余り心配はいたしておりません。

が、その一方で、年度評価がなくなるということですが、四年目とか六年目に突然ばっと評価をされても、やっぱり、多分、大学はきちっとデータをため、そのときに備えるということになるかなとは思いますけれども、年度評価がなくなるだけでも、毎年かなりの職員、教員がその評価書の自己点検書作成に時間と労力を使っておりますので、その分を研究あるいは教育に振り向けることができると考えれば、大いに賛成したいところではあります。

私からは以上でございます。

○参考人(駒込武君)

今回の改正案、政府提出の改正案の中では、文科省の作成する中期目標大綱の中から必ず大学の中期計画に含むべき項目というものが指定されています。これは、これまでなかったことです。

そして、その項目の中には、例えば、その他業務運営に関する重要事項として、マイナンバーカードの活用ということが入っています。なぜそれが大学の中期計画に入らなくてはいけないのか、大いに疑問です。マイナンバーカードというものがまだ社会的にも必ずしも合意を得ていない中で、そうしたものを文科省が入れてしまうわけです。

しかも、今回の改正案では、こうした計画に対して必ず具体的に達成率を示すための数値を示せ、そのための指標を示せとなっているわけです。ですから、マイナンバーカードの導入率が高い大学は優れているから予算を増やす、そうでない大学は減らす、そうした事態が、考え過ぎであればいいんですが、予想されます。

このことに限らないんですが、昨今の文科省の行政は、やはり分かりやすい数値を示してそれで判断するということがあるわけですね。陳述の中で取り上げました筑波大学の留学生数のことにしても、留学生が多ければ指定国立大学法人になれる、七つの指標のうちの一つなんです。ですが、留学生を受入れは大切なことですが、多ければ多いほどいいというわけではないわけですね。当然、予算と人員が限られているんですから、人がただ増えていけばサポート体制は悪くなってしまうわけです。それにもかかわらず、そうした数値だけを取り上げて大学の業務を評価する、そうした仕組みというものが大学における研究、教育、医療の在り方を痩せ細らせているというふうに思います。

ですので、私は、こうした中期目標、中期計画において具体的に数値化された指標を、それは全く不要だとは思いませんが、その指標を過大に評価する体制というのを改める必要がある。むしろ、各大学がそれぞれ工夫して、地域住民に対して自分たちの研究のだいご味、面白さを伝えていくような、そうした仕組みを、工夫を求める、大学側もそれをやっていく、そうしたことが必要だというふうに思っています。

○舩後靖彦君

代読いたします。

ありがとうございます。

次に、組織体制について、学長選考会議を改め、学長選考・監察会議とし、学長は同会議の委員になれないとする見直しについてお伺いいたします。

既に衆議院の文部科学委員会におきましても本委員会でも、現状の学長選考会議のメンバーはその大半を実質的には学長が任命するという不透明な構造であり、新しい学長選考・監察会議において学長が委員から外されたとしても、会議に対する学長の影響力は排除できないのではないかとの指摘がなされています。

また、昨年三月に公表された国立大学法人ガバナンス・コードでは、教職員による意向投票の結果によらず、学長選考を行うこととされました。何千人にも及ぶ学生、教職員の声を反映する回路がなく、外部委員を含む僅か十数名の会議のメンバーによって学長が選出される仕組み自体が非民主的ではないかと感じます。

そこで、駒込参考人にお伺いいたします。

今回の改正についての評価と学長選考の在り方について、公平性、透明性、大学の自主性を担保するためにはどうあるべきかとお考えでしょうか。

○参考人(駒込武君)

ありがとうございます。

その仕組みの問題について言えば、意向投票の結果尊重、直接請求による解職制度、最長の任期の上限というお話をしました。それに加えて、やはり日常的に執行部サイドと一般の教職員、学生との声が通じる仕組みというのが必要だと思うんですが、残念ながらそうはなっていません。

ちょっと私の勤務する京都大学の例を挙げさせていただきたいと思います。

学生対応という点でいえば、一昨年、京都大学は、吉田寮という寄宿寮に住む学生二十名を提訴しました。老朽化した寮から立ち退かないというのが理由でした。ですが、実は学生、寮自治会と大学側の間では老朽化した寮を改築する案についての合意ができたにもかかわらず、大学側が一方的にこれを破棄しました。そうした状況の中で、寮生はやむを得ないということで新しい寮に移るということを寮自治会として決定しましたが、今度は大学側が、でも、自分たちで新しい寮生の選考をするのがけしからないといってこれを認めず、寮生を提訴したわけです。大学の役割は学生を守ることのはずなのに、大学が学生を提訴するというのは本当に恥ずかしく、嘆かわしいことだと思います。

これがガバナンスの問題に絡んでいるのは、そうした形で寮生の入寮選考を認めるべきではないということを監事が監査報告書で書いているということです。そうした監事が監査報告に書くことに従って大学が行動した結果、そうした提訴という手段になり、学生の間でも教職員の間でも大学執行部に対する不信が強まっている、そうした状況があります。

例えば、私が教員としてこうした問題について大学の中で正式に意見述べられる場はございません。一切執行部が決めるという、そういう仕組みになっています。こうした形で、一切執行部が決める、黙って従えという体制というものが、大学において教職員や学生の無力感あるいは不信感というものを増幅しています。

様々な仕組みの工夫というのも必要ですが、先ほどの山崎参考人や小倉参考人の話を聞きますと、他大学ではもっとうまく学生の意見を聞く仕組みもあるようですが、全体として執行部はもっと学生の声を聞く必要がある、地域住民の声を聞く必要がある、そういう仕組みというものをきっちりつくっていく必要があるというふうに思っています。

以上です。

○委員長(太田房江君)

時間が参っております。

○舩後靖彦君

代読いたします。

参考人の皆様には、貴重な御意見をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。

終わります。