2021年12月23日に開催された「全国高校生未来会議」でスピーチ

2021年12月23日に開催された「全国高校生未来会議」に、舩後靖彦が党を代表して演説を行いました。

「全国高校生未来会議」は、全国各地の高校生が、政策等を社会や政治家に提言するイベントです。高校生への「主権者教育」を目的に、一般社団法人リビジョンさんが主催しています。

舩後の演説内容は、以下の通りです。

皆さん、はじめまして、れいわ新選組、参議院議員、舩後靖彦と申します。宜しくお願い致します。

私は、進行性の難病、筋萎縮性側索硬化症、通称ALSという病気とともに生きています。病気の進行による全身マヒで、今では顔の筋肉をわずかに動かせる程度です。でも、微笑むことは出来ます。ウィンクと思われてしまうところが、実にお得です……。冗談です。

私は呼吸筋のマヒのため、喉に穴をあけ、人工呼吸器を付けました。生き抜くためです。そのため、声を出すことができません。他の先生方と異なり、パソコンを使ってスピーチを行います。少し聞きにくいかもしれませんが、これが私の「スピーキングスキル」と思ってお聞きください。。

実は、孫にまねされると困りますので、内緒なのですが、約50年前の私は、それこそ、皆さんと同じ高校生のころのことです。寝る間を惜しんでエレキギターを弾きまくる少年でした。『ギター小僧』と呼ばれていました。そして、髪の毛を伸ばし、市民会館などのステージに何度も立ちました。高校卒業後はプロギタリストを目指しましたが、原因不明の左腕の麻痺で断念。本当に悔しかった。そこで、宝石と時計を輸入する商社に入り、海外を飛び回り、悔しさをバネに億単位の売り上げを出し続ける、バリバリのセールスマンになりました。

ところが順調に思えた生活に、病気の影が忍び寄りました。徐々に体が動かなくなり、ALSと診断されました。人工呼吸器をつけなければ余命3~4年。今までの人生がガラガラと音をたてて崩れていくような気持ちでした。

最初は、「早く死んだほうがまし」と考えていました。が、出会いが私を劇的に変えました。主治医の依頼で同じ病気の患者さんたちと交流し、相談にのるようになったのです。この活動を続けるうち、「僕にもやれることがある!まだ死ねない!」と、生きたいという気持ちが、それこそ噴水のようにわき上がってきたのです。

人々が言うように、出会いの質が人生の質を変えることは本当です。

私が国会議員として活動できているのも「出会い」の産物です。施設などで虐待を受けていた私を救い出してくれた介助者との出会い。「寝たきり界のフロントランナーになってほしい」と参院選出馬を口説いてくれた、『れいわ新選組』山本太郎代表との出会い。みなさんにも、多くの出会いが待っているはずです。ぜひ出会いを大切にしてください。そして、一度きりの人生を満足のゆくものにして下さい。

ところで、いま私が、こうした活動ができているのは、多くの障害当事者の方がたや支援者の方たちの闘い。それがあったから、障害者が生きていくための制度をつくって頂けたからなのです。難病患者、重度障害者が、健康な人と同じように暮らしていくためには、声を上げ続けていくことがなにより重要です。皆さんの周りに体が不自由だったり、言葉をうまく出せなかったり、病気があったりする方はおられますか。その方が何に困っているか、ぜひ聞いてみてください。皆さんがそこに気づき、一緒に考えてくれることこそ「政治」なのです。

いま、強く申し上げたいのは、若者が経済的な困窮に苦しむような社会にしてはならないということです。

れいわ新選組は様々な政策を打ち出しています。全ての子どもに毎月3万円の子ども手当を出し、子どもの貧困をなくす。奨学金返済という借金をなくす。幼児から大学生まで、保育・教育は完全無償化です。「借金を増やすな」というメディアや財務省が言うことを、信用しないでください。財政再建ありきで予算を削減したら日本の将来が、それこそ日本自体が沈んでいきます。国が成長するためには若い人に元気を与えなければなりません。その役割を政治が果すべきです。

最後に、皆さんもこれから、苦しい状況に直面することもあると思います。そんなときには、私の姿、言葉を思い出して下さい。「人生はどんなことがあっても、あきらめてはいけない。人間の可能性には限界はない!」ということを最後にお伝えしたいと思います。

今日は本当に貴重な機会をありがとうございました。