2022年4月28日 参議院文教科学委員会 参考人質疑(教育公務員特例法・教育職員免許法改正案について)
○舩後靖彦君
れいわ新選組、舩後靖彦でございます。
本日は、戸ヶ崎参考人、妹尾参考人、池田参考人のお三方に大変お忙しい中おいでいただき、それぞれのお立場から御意見を伺う機会を頂戴しまして、本当にありがとうございます。
早速、質問に移らせていただきます。
2007年の教育職員免許法改正の際、教員免許に10年の期限を付け、研修をクリアしなければ免許失効という制度設計には大きな疑問が寄せられていました。また、法定研修やほかにも研修がある中、教員の負担増と更新研修の効果が釣り合うのかという現場の声もありました。
このように、元々、問題の多い教員免許更新制が2009年から13年間続いたわけですが、この間に教育現場あるいは教員養成の現場に与えた影響について、改めて3人の参考人からそれぞれ御意見をお聞かせください。
○参考人(戸ヶ崎勤君)
この免許更新制、繰り返しになりますけれども、メリットとしては、教師の学びの機会の拡大、さらには教師の資質能力の向上に対して大学の関与の拡大、さらには様々良質なそういうプロセスを通しながら学習コンテンツの形成など、悪いものばかりではなくて、そういう成果ということを上げてきたんだろうなと私は思っております。
ただ一方で、これも繰り返しになりますけれども、特定のその十年という期間で受講すること自体が、本当に最新の知識技能を蓄えていくというような、学びをアップデートしていくということに対して本当に成果が上がっていたのかとか、それから金銭的なものですよね、何で研修受けるときに3万とか5万とかというこのお金を払わなくちゃならないのかとか、さらには、先ほど来出ている、その免許更新があるからということで臨時的な任用教員が確保できないだとかという、そういうような課題も指摘されてきたわけですので、成果、それから課題、両方ともあったわけですけれども、大事なことというのは、今後の社会変化といったものを踏まえながら、やっぱりその良かったこと、まあ課題は当然解決していかなくちゃいけませんし、良かったことはどんどんどんどん今後も生かしながら、新たなその教師の学びの姿ということについてより深めていく、深化させていくということが重要なのかなというふうに思っております。
以上です。
○参考人(妹尾昌俊君)
戸ヶ崎さんもさっきおっしゃっていただいたように、非常に免許更新制には、もちろんプラス面もあったと思いますけれども、マイナス面もあって、御案内のとおりたくさんの問題があったと思っております。
やはり一番大きいのは、免許更新制が面倒でなかなか更新もしないということで、やはり講師の先生だとか、1回育休だとか介護を抱えられて教職を辞められた方が復帰するときに非常に阻害要因にもなってきたということで、そういった人材不足をもう助長してしまったということが、13年前、10年前は今日ほどは推進国じゃなかった面もあるかもしれませんけれども、ここ数年で一層この問題が出てきたということは申し上げたいと思っております。
以上です。
○参考人(池田賢市君)
ありがとうございます。
10年のこの更新制ですけど、実は、07年のこの更新制が入るぞというときの水戸で行われた地方公聴会で、私、意見を述べさせていただきました。そのときにも本当に問題という話をしていて、実は、中央大学は2008年の試行のときには参加したんですね。で、じゃ、09年の本格実施からどうするかというときに、やっぱりこの制度ちょっとおかしいし、もたないし、すぐなくなるんじゃないかと思って、やらなかったんですね。まあ近くに東京学芸大学もあるということもありますけれど。ところが13年間も続いて、本当に廃止になるということであれば本当によかったんですけど。
どうしてこんなに続いちゃったのかということですね。大学に与えた影響などなどは先ほども少しお話を、最初に申し上げたとおりなんですけれど、制度として、一旦法律で制度になっちゃうことのある種の怖さなんだと思うんですけれど、いろんな意味をいろんな人がこの制度に付与していったんではないかと思っています。
大学から見ると、本当にこれ、こういう言い方になるんですけど、大学の経営上の問題として、多くの先生方に受講してもらうと、端的に言うと収入が増えるということ、商売の感覚ですよね、ということもたくさん聞いております。もうかるということですね。ただ、そのレベルに行くためには設備投資も結構しなきゃいけないので、毎年コンスタントに受講生を集めるためにどうしようかという、そういう議論になっていくとか。
あるいは、それと関連して、何せ学校の先生方に来ていただけるので、大学の宣伝になると思ったところもあると思います。特に、高校の先生が来てくれて、いい印象を持って帰ってくれれば、絶対受験指導のときにあそこの大学良かったみたいなことになる、まあなるかどうかは分かんないけど、そういう期待をついしてしまうということも、妄想かもしれませんけど、それはありますということですね。ちょっと露骨過ぎるんですね、それがね。
また、人によりますけれど、大学が関与するんであれば、大学によっては自分のところで教員養成した学生なら引き受けるよなんという話は初期の頃ありました。学生にとってみても、母校で、母校の大学で久々に講習を受けて、かつてお世話になった先生もいて、とても懐かしくてという感じで、学生時代懐かしんで新たな気持ちで学ぶということはあったかもしれないんですけれど、いずれにしても、いろんな思惑が入り乱れた13年間だったのではないかという感じもしております。どれを取っても、子供の抱える課題とか学校、学級の課題とは大分離れているなという感じはしております。制度としてどう維持していくかだけがずうっと続いちゃったという感じですかね。
以上です。
○舩後靖彦君
ありがとうございます。
次の質問に移らせていただきます。
教員免許更新制はなくなりますが、教える立場である以上、教員の自己研さんとしての研修は必要と思います。しかし、研修の受講それ自体が目的なのではなく、研修で得た新しい知見をどう授業や学級・学校運営、子供たちとの関係をつくっていく上で役立てていくかということこそが重要なはずです。
そこで、妹尾参考人、池田参考人にお伺いいたします。
研修記録を作成し、研修の履歴を残すことと、教員としての資質の向上とどのような関係があるとお考えでしょうか。
○参考人(妹尾昌俊君)
ありがとうございます。
一つは、おっしゃるとおり、研修を受けたかどうかということだけをもって、それが学びの成果ではないはずですよね。そこがかなり中教審等の検討では甘いなというふうに私は思っている次第です。
おっしゃるとおり、研修を受けたかどうかだけではなくて、受けたとしたら、それがどう子供たちとか学級運営だとか学校運営に生かされたのかということ自体をきちっと問われないといけないので、もちろん研修履歴はあってもいいんですけれども、研修履歴が大事なんじゃなくて、研修の結果、どんなことが、じゃ、役に立ったのかとか、どんな学びがあったのかということをしっかり対話していくということが大事だと思います。なので、あくまでも教師の資質能力の向上につきましては、履歴があるからすごく向上するというものではなくて、もちろん履歴もあってもいいんですけれども、いろんな授業を見たり日頃の生徒指導を見たりする中でしっかり課題を振り返ることができる、リフレクションできるような機会をたくさん設けていくことが大事であろうというふうに思っております。
以上です。
○参考人(池田賢市君)
御質問ありがとうございます。
端的に言って、履修の記録を残すことと教員の資質能力の向上は関係はないというふうに思います。記録を残すこと自体がもちろん問題なのではなくて、資質向上のための研修などなどいろんな取組がしっかりと本当に保障できるのかということですよね。そこに問題の焦点を絞った方がいいのだろうというふうに思っています。
これまでも繰り返し出てきましたけれど、多忙化の中にあって、例えば誰かが研修に出かけてしまうと、その間の、じゃ、業務誰が代わるんだ、この子たち、このクラスどうするんだという話になっちゃって、もう研修どころではないという話になっちゃうので、資質向上のためとか、あるいは保護者等々からの信頼を得ようと思ってやっているはずの研修を受けることでかえって子供たちの関わりがなくなっちゃうとか、そうすると保護者からの信頼も得られなくなるしということになってくるので、履歴を残すこと自体が、そのことがという、何か資質向上にということはないと思います。要は、その記録をどう生かすかということにはなっていますけど、その記録がどのように作られるかということと関連はしてきますけれど、いかに学校の、現場の課題を反映できるかということかなと思います。
一旦ここまでに。
○舩後靖彦君
ありがとうございます。
引き続き研修についてお伺いいたします。
教育職員特例法にあるとおり、本来、教員の研修は義務であると同時に権利であるはずです。今回の改正では、研修記録の作成及び資質の向上に関する指導助言が盛り込まれていますが、研修記録の範囲、内容、方法が法案段階では不明確です。個人情報の取扱いの問題や人事評価と結び付けられるのではないかという不安、指導助言が管理職からの強制になるのではないかという懸念が教員から上がってきています。教員免許更新制のときも、現場や関係者の不安、懸念が現実のものになってしまったわけですが、現場の不安、懸念について、妹尾参考人、池田参考人は、いかがお考えでしょうか。
○参考人(池田賢市君)
その不安は本当に当たらなければいいなと思うんですけれども、若干、かなり当たりそうな気がして嫌な感じです。
先ほども少しお話をしましたけれど、免許更新制度の発展的解消という流れの中での研修なので、当然身分にひも付けられたその制度を単純にすぱっとやめますね、で、改めて研修をではないので、その変える代わりにこれをというニュアンスになってしまうと、結局、先ほども話に出ていたような懲戒も行く行くはあり得るみたいな形で研修履歴が使われてくるとなると、それは指導助言といっても強制的な部分とか抑圧的な部分になってしまうかもしれません。あと、人事評価というのは先ほども少しお話をしたとおりなんです。
私、その記録を取るということについて若干懸念事項があって、最初の15分間のときにも少し問題もあってみたいな、注意しなければということを言ったんですけど、といいますのは、自由な自主的な主体的な研修をしていく中には、例えば人権教育を今度担当することになったと、それについては、自分の自己研さんとか研修をやりたいというときに、当然、被差別当事者の聞き取りとか話を聞くとか、一体どういうことになっているのかということを現場に行って話を聞くということが出てきますよね。そのときに、それを、じゃ、どういうふうに記録に残すのかという、その残し方次第によってはそれ自体が人権問題になるということもあるので、しかもすごい個人情報ですので、記録については研修等の内容にかなり踏み込んだ形で記載していくよりも、日時と場所と時間とかね、あと大まかなテーマとか、どうしてそういう研修が必要なのかというか関連性というか自分の課題との関連性みたいなものをごくごく簡単に記載するというようにしておく必要もあるかなというふうに思っております。記録がもし人事評価とか実質上結び付いていくんだとすると、何を記録してあるかということの今言ったような取扱いの注意も必要かなと思っています。
以上です。
○参考人(妹尾昌俊君)
私、今回のこの法改正について何人かの校長先生方あるいは教員の方とも意見交換しましたけれども、一つの不安なり懸念といたしましては、これ何の意味があるのということです。
恐らく、企業でさえ研修履歴で学びが活性化したという事例は聞いたことが私はないです。もちろん研修履歴等を通じて、もっとこんな研修を受けてみたらとか、あなたたくさん忙しい中研修受けてすごいねといったような会話ぐらいはありますよ。これはどこの会社でも、恐らく学校でも今後起こるでしょう。でもその程度のものなんですね。その程度のものをなぜ法改正までしてわざわざ義務付けようとするのかというのが意味が分かりませんし、恐らく文部科学省の中ですら研修履歴で学びを活性化しているなんて事例はないと思いますよ。
まず、御自身でやってみられた方がよろしいんじゃないかというふうに私は思っていますけれども、そこを何の意味があるのかといったことが一つの懸念だと思います。
二つ目は、特に校長というよりも一般の教員の方が懸念されているのは、やはり、私の資料の十ページにも書きましたけれども、いい校長たくさんいらっしゃいますけれども、残念ながらそういう校長ばかりではなくて、ハラスメントにつながりかねない、若手等を潰してしまう校長もいるというところを、繰り返しですけれども、非常に心配されている方も中にはいらっしゃって、恐らくこの懸念は当たるであろうというふうに思います。
文科省や中教審が言うように、すばらしい校長ばかりならば、いちいち法律で義務化しなくても指導助言しっかりやれています、今でも。ということを考えますと、副作用の方がやはり大きいのではないかというふうに思いますので、是非再考していただきたいなと思っております。
以上です。
○舩後靖彦君
質問を終わります。
参考人の皆様、ありがとうございました。